第 1 地点 / 全 14 地点
高知城下(出発)
・ 高知県 ・ 幕末(江戸時代後期)
見どころ
龍馬の決意。土佐を旅立ちます。
この地について
坂本龍馬の脱藩の旅は、生まれ故郷である土佐の高知城下から始まりました。文久2年(1862年)の春、龍馬は同志の沢村惣之丞(さわむらそうのじょう)とともに、ひそかにこの地を旅立ったと伝えられています。当時、藩の許しを得ずに抜け出す「脱藩」は、家族にまで累が及びかねない重い罪でした。それでも龍馬は、激動の時代に自らの信じる道を求めて旅立ったのです。山内家の城・高知城を背に、四国山地を越えてゆく長い道のりが、いま始まります。龍馬が高知を発ったのは、文久2年(1862年)3月24日のこととされています。当時の龍馬は28歳で、同行したのは沢村惣之丞(さわむらそうのじょう)でした。龍馬の生まれたまち記念館の脱藩の道コースには和霊神社が経路として挙げられ、「桜を見に行く」と言って家を出たと案内されています。ここに記した日付は旧暦です。冨屋金兵衛邸の案内では、3月27日は新暦の4月25日にあたるとされています。龍馬は出発の翌日、3月25日には梼原(ゆすはら)で宿を取ったと伝えられています。
このコースについて:坂本龍馬 脱藩の道
土佐から長州へ、龍馬が駆け抜けた 250km(幕末(江戸時代後期))
幕末の風雲児・坂本龍馬が、生まれ故郷の土佐を飛び出した「脱藩の道」をたどる旅です。文久2年(1862年)、龍馬は藩の許しを得ぬまま、同志とともにひそかに高知の城下を抜け出したと伝えられています。当時、脱藩は家族にまで累の及ぶ重い罪でしたが、龍馬は新しい時代を切りひらく道を求めて旅立ちました。高知の城下を発ち、佐川や梼原(ゆすはら)といった土佐の山里を抜け、国境の峠を越えて伊予国(今の愛媛県)へ。大洲を経て長浜へ出て、そこから海路で長州(周防・三田尻)へ渡る、およそ250キロメートルの道のりです。旅の結びの地・下関は、龍馬ら志士たちを支えた白石正一郎(しらいししょういちろう)の邸があった港町です。激動の時代に身を投じた若者の足跡を、十四の地点とともにたどってみましょう。
のろし回廊は、思い出クイズに正解しながら名所や街道を少しずつ進んでいく、ご自宅から楽しめる旅です。 地点ごとの見どころや歴史に触れながら、前後の地点へのリンクで順番にたどることも、気になる地点だけを読むこともできます。
コーススタートからの距離:0 km
緯度経度:33.5610, 133.5311