第 5 地点 / 全 14 地点
梼原(ゆすはら)
・ 高知県 ・ 幕末(江戸時代後期)
見どころ
国境の町、梼原に到着しました。
この地について
梼原は、土佐と伊予の国境にほど近い、山あいの町です。脱藩の道のなかでも、ここはとりわけ名高い土地として知られています。龍馬はこの梼原で、土佐勤王党に連なる那須信吾ら地元の志士たちの助けを得たと伝えられ、その案内で国境の韮ヶ峠(にらがとうげ)へと向かったといいます。今も町には、維新を志した若者たちをしのぶ群像が立っています。深い霧に包まれる峠を越えれば、いよいよ故郷の土佐ともお別れです。高知を出た龍馬は、文久2年(1862年)3月25日に梼原(ゆすはら)で一夜を過ごしました。翌26日には、梼原の勤王の志士・那須俊平(なすしゅんぺい)と、その子の信吾(しんご)の案内を受け、宮野々番所(みやのののばんしょ)と四万川(しまがわ)の松ヶ峠番所を経て、土佐と伊予の国境にある韮ヶ峠(にらがとうげ)へ向かったと伝えられています。この峠を越えれば伊予の国(現在の愛媛県)です。こうち旅ネットは、梼原町の三嶋神社の横を「坂本龍馬脱藩の道」の出発地点として案内しています。
このコースについて:坂本龍馬 脱藩の道
土佐から長州へ、龍馬が駆け抜けた 250km(幕末(江戸時代後期))
幕末の風雲児・坂本龍馬が、生まれ故郷の土佐を飛び出した「脱藩の道」をたどる旅です。文久2年(1862年)、龍馬は藩の許しを得ぬまま、同志とともにひそかに高知の城下を抜け出したと伝えられています。当時、脱藩は家族にまで累の及ぶ重い罪でしたが、龍馬は新しい時代を切りひらく道を求めて旅立ちました。高知の城下を発ち、佐川や梼原(ゆすはら)といった土佐の山里を抜け、国境の峠を越えて伊予国(今の愛媛県)へ。大洲を経て長浜へ出て、そこから海路で長州(周防・三田尻)へ渡る、およそ250キロメートルの道のりです。旅の結びの地・下関は、龍馬ら志士たちを支えた白石正一郎(しらいししょういちろう)の邸があった港町です。激動の時代に身を投じた若者の足跡を、十四の地点とともにたどってみましょう。
のろし回廊は、思い出クイズに正解しながら名所や街道を少しずつ進んでいく、ご自宅から楽しめる旅です。 地点ごとの見どころや歴史に触れながら、前後の地点へのリンクで順番にたどることも、気になる地点だけを読むこともできます。
コーススタートからの距離:65 km
緯度経度:33.3919, 132.9214