特特大

第 6 地点 / 全 14 地点

韮ヶ峠(にらがとうげ)

・ 高知県 ・ 幕末(江戸時代後期)

見どころ

土佐と伊予の国境、韮ヶ峠へ。

この地について

梼原をあとにした龍馬は、宮野々番所を抜け、四万川の茶や谷から松ヶ峠の番所をしのいで、土佐と伊予の境をなす韮ヶ峠(にらがとうげ)に立ちました。脱藩の旅では、街道のあちこちに設けられた番所の関守の目をかいくぐらねばならず、山越えは息をひそめる緊張の連続だったと伝えられます。ここはまさに土佐の西のはて、国境の峠道です。これまでたどってきた長い道のりを思い、龍馬はひとつ深く息をついたのかもしれません。木立のあいだから振り返れば、故郷の山々はもう霧の彼方にかすんでいます。韮ヶ峠は、土佐(高知)と伊予(愛媛)の県境にある峠で、龍馬の一行は文久2年(1862年)3月26日にここを越えて伊予の国へ入ったと伝えられています。その先は、小屋村(現在の西予市野村町)、水ヶ峠(現在の大洲市河辺)、泉ヶ峠(現在の内子町五十崎)、宿間村(同じく五十崎)と、山あいの村々を順にたどる道が続いたとされています。

このコースについて:坂本龍馬 脱藩の道

土佐から長州へ、龍馬が駆け抜けた 250km(幕末(江戸時代後期))

幕末の風雲児・坂本龍馬が、生まれ故郷の土佐を飛び出した「脱藩の道」をたどる旅です。文久2年(1862年)、龍馬は藩の許しを得ぬまま、同志とともにひそかに高知の城下を抜け出したと伝えられています。当時、脱藩は家族にまで累の及ぶ重い罪でしたが、龍馬は新しい時代を切りひらく道を求めて旅立ちました。高知の城下を発ち、佐川や梼原(ゆすはら)といった土佐の山里を抜け、国境の峠を越えて伊予国(今の愛媛県)へ。大洲を経て長浜へ出て、そこから海路で長州(周防・三田尻)へ渡る、およそ250キロメートルの道のりです。旅の結びの地・下関は、龍馬ら志士たちを支えた白石正一郎(しらいししょういちろう)の邸があった港町です。激動の時代に身を投じた若者の足跡を、十四の地点とともにたどってみましょう。

のろし回廊は、思い出クイズに正解しながら名所や街道を少しずつ進んでいく、ご自宅から楽しめる旅です。 地点ごとの見どころや歴史に触れながら、前後の地点へのリンクで順番にたどることも、気になる地点だけを読むこともできます。

コーススタートからの距離:80 km

緯度経度:33.4300, 132.8600